霊性の低下を考える こころと健康 第03回


霊的な世界を無視して真の健康は成立しない

私は前回、「霊的な世界を無視しては、真の健康は成り立たない」と述べた。 なぜそうなのかを解説してみよう。


人間の生命体の構造は、五つの生命体からなる。 この生命体の中で、霊性とつながっているのが、『霊体』というところである。 そして、その霊体の表裏の関係にあるのが『幽体』だ。 西洋心理学でいうところの深層意識であり、 昔から言われている『三つ子の魂百まで』のところでもある。


人間の行動の90%~95%を支配しているのは、実はこの深層意識である。 つまり『幽体』と言える。 仏教唯識学では『阿羅耶識(あらやしき)』といい、人生の主人公を演じる意識なのである。 しかも、この意識は別名無意識の意識とか衝動意識とか言われ、 人間の表面意識である顕在意識では、コントロールできないのだ。 『わかっちゃいるけど止められない』というのもこの意識だ。


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したがって、この意識の中にどのような内容がデータ化されているかが非常に大切だ。 人間が本来健康であるためには、この意識の中に、 次のような内容がデータ化されていることが大切だ。


1. 思いやり
2. 博愛
3. 感謝
4. 善意
5. 奉仕
6. 許容心
7. 誠意


善なる意識が多ければ多いほど、健康的人生になる

いわゆる『善なる意識』だ。 この善なる意識が深層意識の中で多ければ多いほど『健康的人生』になる。 そして、この〝善なる意識〟を育んでいる生命体が『霊体』と言える。 宗教的表現をするならば『神仏的意識』ということになる。


人間は、幼い頃は善なる意識中心の生き方をしているのだが、成長してゆくにつれ、 だんだん自我が発達し、自己都合中心の生き方に変ってしまう。 自己都合中心の生き方になればなるほど、善意識が薄れてくる。 その結果、思いやり、博愛、感謝、善意、奉仕、許容心、誠意など、 前述した意識が、損得中心の尺度によって、コロコロ変ってしまう。 つまり、自分の行動基準が善悪から損得に座標軸が変ってしまうことに原因がある。 特に現代社会は、アメリカを中心としたグローバルスタンダードのもと、 市場経済第一主義が世界経済を動かしている。


唯物論哲学は精神的価値を軽んじている

その根底にあるものは唯物論哲学に支えられた物質中心主義であり、 精神的価値は軽んじられている。 極論するなら『お金(経済)第一主義』であり、正しいものが正しいのではなく、 勝ったものが正しいという価値基準の社会である。


こういう社会に生きている人間は、自然と生き方もそのようにならざるを得ない。 そうなると、善悪中心でなく、損得中心の生き方になってしまい 人間が本質的に内在している神仏心的な善なる意識である霊体は、 自分都合中心の意識である幽体に封じ込められてしまう。


現在の病気は、肉体、心体を越えて、この幽体の領域を犯されて発病していると言える。 現代社会の病理の根源は、ますます幽体と霊体の壁を厚くしている。 そして、それは、そのまま人間を不健康にしていることでもある。




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